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友-友創設のきっかけから、これまでの歩み

<創設者 小林房子より>

 

曖昧な目的確認が最初の失敗

 

1986年7月、地区の福祉委員会が年に1~2回、独居の高齢者を対象とした昼食会を行っていました。

しかしながら参加できない人や昼間独居、高齢者世帯の人々に対する対策は何らなされていませんでした。

 

そこで私たちは生活協同組合の文化活動や、様々な助け合い活動の一つとして「お楽しみ昼食会」を始めました。

 

しかし運営方針に十分な検討もないままスタートしたため、回数を重ねるうちに累積していくわずかな運営資金に対する剰余金の処理が、最初のもめごととなりました。

「昼食会に関わっている人たちで報酬として分配しよう」という意見もありましたが、話し合いの結果、「誰もが老いた時」の助け合い活動の資金としてプールしようということで、最終的にまとまりました。

しかしその結果、分配案を指示した人々が活動から退かれることになったのです。

 

自立した活動を求めて

 

丁度その頃、活動拠点に使っていた建物の家主からその場所の明け渡しを迫られていたこともあり、生協からも自立して活動すべく、新たな活動場所と財政的支援を求めて走り回っていた頃です。

思いつくまま行政にも、何らかの支援を求める活動を始めていました。

当時、行政によるボランティア団体に対する活動場所や財政的な支援制度は存在しておらず、社会福祉協議会(以下、社協)が、ボランティア団体として認めた団体に対してのみ、ボランティア基金を配分するという助成制度があるのみでした。

ところが私たち友-友は、「福祉=施し」ではなく、あくまでもそれは自立支援であるべきだと活動開始当初から考え、ご高齢の方々から、私たちと同様、入会金、年会費を支払っていただき食費を支払っていただきました。

つまり無料奉仕でない私達の活動は、社協には「ボランティア団体」として認めてもらうことができなかったのです。

 

けれども私たちは、食事代金を利用者が支払うという方法を変えることはせず、社協と根気よく話し合いを重ねました。

繰り返し協議を続けた結果、少しずつ「友-友」の活動にもご理解いただき、ようやく助成対象のボランティア団体として認めて戴くこととなりました。

 

ところが一方では、拠点となる活動場所はなかなか見つかりません。

私たちは1989年から1995年の6年間、吹田市立藤白台地区市民ホールの湯沸場を使って活動を続けていましたが、これでは設備の面で、配食サービスに必要な保健所の認可が取れません。

そこで、当時この隣にある近隣センターの空き店舗を借りることができないか?と考えた私たちは、この地にお住まいで、私たちにご協賛頂いた住民の方々から戴いたご署名を添えて、関係各所へお願いしました。

しかし、当時は様々な理由により、なかなか受け入れてもらえません。

 

そこで私たちは、吹田市や社会福祉協議会に対し、財政面や場所の支援ではなく、後方支援をお願いすることとしました。

つまり「なんとか 友-友 に空き店舗を貸してやってほしい」という賃主に対する口添えを求めたわけです。

それが功を奏し 友-友 は、ようやく空き店舗を借りることになりました。

活動開始から9年、こうしてようやく満足とはいえなくても、清潔で機能的な厨房を作り保健所の許可を取得することが叶い、配食サービスを行うことのできる条件が整ったのです。

 

行政との配食サービス委託事業契約締結

 

1995年7月、私たち 友-友 と吹田市内の特別養護老人ホームの2ヶ所に対し、行政から、「配食サービステスト事業」という名目で補助金が支給されることとなりました。

さらにその1年半後、ボランティア団体である 友-友 と吹田市は、配食サービス事業の委託契約を交わすこととなりました。

 

市からの連絡を受け出向いた私たちは、そこで初めて手渡された契約証に目を通しました。

しかしその契約内容は、当該事業が不要となった場合、例え契約期間中であっても契約取り消しとなるというものでした。

この点について担当者に質問したところ、市が取り交わす書面は全て同様のフォームとなっているとのことでしたが、そんなことになって本当に困るのは、高齢者と私たちです。

その場では契約を交わさず、後日、その部分を「双方で協議の上」と訂正した上で改めて委託契約が交わされました。

 

そんなスタートから1年間の契約期間を無事に終えた私たちは2年目の更新手続きに臨みました。

1年間を振り返って再度契約更新に望む私たちに対し、あまりに機械的な手続きに

「契約期間の活動を振り返って、意見交換くらいしないのですか?」と質問したことを覚えています。

 

一度交わした契約を漫然と更新するのではサービス需用者の意見が反映されず、やがては質やサービスの低下を招き、単なる与えるだけの福祉と成り果ててしまいます。

市民活動といえど、コストダウンを本気で考える緊張感がなければ、活動そのものの体力が低下します。

今回のような行政と市民活動団体との契約は当時、珍しかったのではないでしょうか?

 

あれから5年

今でも 友-友 自身が、常に緊張感を持ち、また吹田市は市民活動と行政の協同を推進すべく、様々な議論を求めていかなければならないと考えています。

 

5回目の活動場所移転 吹田市立武道館の厨房

 

近隣センターの空き店舗を改装して2年半が過ぎた頃、センター全体の再開発計画が具体化し、全面取り壊しとなることが決定しました。

私たちは、活動を継続できる場所を求めて駆け回りましたが、条件を満たす適当な候補地を見つけることはなかなかできませんでした。

またしても、ほとほと困った私たちは行政に対して、空き教室などの使用も含めて活動場所の提供を要望しましたが、行政は「公的な場所をご使用ください」と回答するのみでした。

けれども一般的に、公的な場所を一団体が毎日独占使用することは不可能です。

 

私たちは悩みました。

公的な場所でしかも専用で使用できる場所がないか考え、そして思い当たったのが、吹田市内の体育施設に設けられた軽食喫茶コーナーの厨房でした。

ここは利用者が少なく、長い間、閉じられたままだったのです。

こうしてその軽食喫茶コーナーの営業を条件に、当該施設の厨房でご高齢の方を対象とした昼食作りを行う計画が具体化に向け進んでいきました。

しかし活動拠点移転に伴い、様々な問題が発生しました。

 

まず移転によってご高齢の方が、今までより遠くなり会食に来ることができなくなったのです。

そこで私たちはこうした方々に対し、地域の「老人憩いの間」へ弁当を配達することにしました。

これによってこれまで同様の会食サービスを継続することができました。

しかしその喜びもつかの間、さらなる問題が次々と発生しました。

 

例えば 新たな活動場所には電話が設置されておらず連絡に不都合をきたすといった問題。

・休館日・祝日の翌日や台風警報発令時には施設を使用できない。

・体育施設である以上、様々な行事(主に祝・日曜日)に、軽食コーナーを稼働することが重くのしかかる。

・駐車場が少ないため配達に不便をきたす などなど。

 

そうした問題が発生する都度、私たちは行政に改善を求めました。

しかし高齢福祉サービス事業委託契約を交わしながら、活動拠点たる体育施設に関する相談窓口は、高齢福祉課ではなく、社会教育課であるなど・・・  相談すべき窓口の、縦割り行政システムに戸惑う私達は、様々な疑問や要望を投げかけました。

対する役所内でも、このような委託事業自体がいまだ先例の少ないものであったことから対応に戸惑いがあったようです。

それでも根気強く話し合いを重ねるなど、双方の努力が実りこうした問題も一段落しました。

しかし、ほっとしたのも束の間、次は 友-友 の内部で新たな問題が発生したのです。

  

2回目の失敗はボランティアの有償化

 

活動を始めて10年余り、私たちは交通費を自己負担して支出を抑えたり、自分たちの作った弁当を利用者より高い料金で買い取るなどして 友‐友 の運営資金に充てていました。

 

しかし配食回数や、利用者数の増加に伴う委託金収入が増加することに加え、市民ボランティアが公益活動拠点として利用するという理由から、武道館厨房設備の家賃支払いが免除され、家賃支出が大幅に削減されたことも重なり、友友の運営資金は徐々に剰余金がでてくるようになりました。

 

その反面、配食実施回数や食数の増加は、ボランティアスタッフ不足の慢性化を引き起こしていました。

もともと 友‐友 代表である私は、「老いても何か人の役に立ち、コーヒー一杯分程度の小遣いがもらえれば、楽しく老いて過ごしていける。また若いお母さんたちに地域高齢者の弁当作りという身近で手頃な働く場を提供することができれば、遠くまでパートに出る必要もなくなり、子供たちも安心して育つだろう。さらには食事作りを通じた世代間交流ができ、助け合いから一歩前進してコミュニティーサービス、そしてコミュニティービジネスもいいなぁ。」などといった夢を持っていました。

同じ思いを共有する仲間たちもすんなりと賛成してくれたこともあり、ボランティア労働に対して報酬を支払うことが、全員合意のもと決定したのです。

 

私たちはこれによって、人手不足の解消もできれば一石二鳥と見込んでいました。

ところが毎日でも参加できるという人が、ご高齢で仕事の能率が上がらなかったり、逆に報酬があるからこそ参加しにくいと感じる人がいたりなど、この方法は決して労働力不足解消につながりませんでした。

さらにボランティア労働に対する時給は、参加回数によって格差をつけたため、ボランティアスタッフ間に不協和音まで響き始めたのです。

 

結局、お金がないほうが楽しくてよかったという声さえ聞かれるようになり、半年後の運営委員会で報酬の見直しを行った結果、

「全員同一条件で交通費・弁当代を含めて1回の参加につき1000円を支払う」ということに落ち着き、この問題は一応の解決をみたかに思えました。

 

困った末の 「チーフ制導入」 これが大当たり

 

ところが一旦有償になってしまうと、報酬支払いのない時代から苦労を共にし、中心になって仕事をしてくれていた人が 「他所で働けば時給800円以上もらえるところを、友‐友 のそれはボランティア活動だからと、時給400円でも頑張ってきた。 しかしそのことが評価されないのなら・・・・」 と言って辞めていかれました。

さらに、これはボランティア団体の宿命かもしれませんが、1人が辞めると必ずそれに同調して辞める人が後に続きます。

 

ボランティア活動を長く続けることができるのは、そこが楽しいからだといいますが、まさにその通りです。

結局、ボランティア活動とは自分の都合の良い時間内で行うものであり、参加方法は人によって異なるのだということを私たちは、皆理解し合い、多くのボランティアが気持ちよく活動を続けるためのシステムとして、チーフ制を導入しました。

これはその日の弁当作りの責任者である1人のチーフがリーダーシップをとってその日の弁当を時間内に作り、次の献立の決定やカロリー計算、材料の発注、調味料の点検、翌日の作業の簡単な準備などを行うというシステムです。

 

幸い現在、調理ボランティアの中から選ばれた3名のチーフがこの仕事を順調にこなしてくれています。

また30~70代の女性に混ざって、リタイアされた男性のドライバースタッフが、参加してくれています。

友‐友 は参加しているスタッフにとってもアットホームな憩いの場となっています。

 

老いたときの助け合いの輪を作ろうという思いから始まった私たちの活動は、「自分が食べたくなる弁当作り」 を念頭に、時代の流れを体で感じながら様々な挑戦を重ねてきました。

活動を始めた当初は、友‐友 に今日のような恵まれた日々が訪れるなど、思ってもみませんでした。

企業が決して作りえないもの・・・  それは人が人を呼ぶネットワークです。

その力はやがて色々な人が関わりを持つ組織を作り出す・・・元気団体、友‐友の秘訣はここにあるのでしょう。

 

2007年4月 友-友 の配食サービスが昼食から夕食に変わりました。

高齢者が通院などでお弁当の手渡しが困難になり、夕食を望まれるようになって来ました。

昼食弁当から夕食弁当への移行は、ボランティアスタッフの時間調整が大変です。

子供や夫の帰る間での時間をボランティアで参加して下さっている方たちにどう理解してもらえるか、自信はありませんでした。

最後は「私達が老いた時、弁当を利用したいのはやっぱり夕食よね」・・・ということで決まりました。

いつも物事を決める物差しは、自分がしてほしいサービスは何か・・・です。

現在のボランティアスタッフが全員参加できるシフトを提案。

結果は夕食に切り替わることで、一人も辞める人はいませんでした。

社会との関わりが喜びに転じた時、自らの生活サイクルは変えられるのだと言うことです。

そして何より、友-友 には仲間がいて家庭以外のもう一つの心地良い居場所になっているように思えました。

住み慣れた地域で共に暮らす方法を求め続けます。